こんにちは。小原です。
「いくくるさんに感謝」とは今いくよ・くるよさんへの感謝です。
いくよさんが亡くなられたと知った時は大変残念で悲しく思いました。
実は私、34年前の22歳の時にいくくるさんに夢をかなえていただいたのです。
その夢とは・・「漫才です。」
私が初めていだいた夢は、漫才師になることだったんです。 当時、小学校5年生の時でした。
お笑いが大好きな少年時代、よく視るテレビ番組は漫才・落語・コント・吉本新喜劇・松竹新喜劇など・・完全にお笑いです。
その中でも、漫才には魅了されました。
特に大好きだったのは島田洋之助・今喜多代さんの夫婦漫才でした。
最高に面白かったですよ。
そ・こ・で・・・将来はこの人たちに弟子入りして漫才師になろうと勝手に決めたのです。 いつかはきっと、花月の舞台にたってやろうと思ってね。・・・
ところが、そんなこと親が許すはずもなく、この夢は自然消滅してしまい、ごく普通のサラリーマンになってしまったのです。
その後、10年ほど経った22歳の時の土曜日の正午、素人参加型のお笑い番組がやっていたんです。
当時は漫才ブーム第一世代の時期でした。
「やすきよの運だめし腕だめし」という某テレビ局関西ローカルの1時間番組で、司会はやすしきよしさん、アシスタントには明石家さんまさん、他豪華お笑いキャスト出演で、何よりも、その舞台は夢の・・夢の・・なんば花月だったのです。 わおぉ~!
そ・こ・で・・・私のお笑い魂に火が付き、子供の頃の夢を叶えるのは今しかないと思ったのです。
即応募です。
島田洋之助・今喜多代さんを師匠に持つ今いくよ・くるよさんとのトリオ漫才を熱烈希望し採用していただいたんです。
応募総数800通あったそうですが、オーディションも合格し、梅田花月で、いくくるさんと初顔合わせを行いすぐネタ合わせ。
いくよさんも、くるよさんもものすごく優しく、かわいい方々でしたよ。
本番は昭和55年11月20日 なんば花月でした。 ぎっしりのお客さん(-_-)/~~~ピシー!ピシー!
出演は4チームでザ・ぼんちチーム、巨人阪神・紳助竜介チーム、間寛平・めだかチーム、
そして、いくくる姉さんと私です。
ネタとゲームによる対戦の一時間でしたが、いくくる姉さんのおかげで緊張もせず、最後まで勝ち抜き、チャンピオンとなったのです。(^_^)/
本番終了後、横山やすしさんから「自分上手いなぁ よかったよ!」って声をかけて頂き、当時、新喜劇の座長されていた寛平さんからは「よかったら新喜劇に入り」って誘って頂きました。
ものす~ごくうれしく私は「はい!」って答えようと思った瞬間、いくくる姉さんが猛反対で、「こんな大変な世界に来たらあかん!」と私に言い、寛平さんに「シゲちゃんに大変な思いをさせんといて! ご両親に申し訳がなくなる!」って強い口調で話し、真顔でおこってました。
当時は本当に吉本に入りたかったのですが、やはりそんな簡単な世界じゃないし、いま思えば今ここにいる自分が、皆様のお力になれている自分が一番充実してるかなって思います。
てなことで、子供の頃の夢をかなえていただき、人生の事まで考えていただいたいくよ・くるよ姉さんに感謝感謝です。
もう二人の漫才が見れないことは大変残念ですが、私の心には一生の思い出として残っています。
くるよさんはひとりになりましたけど、これからもお体を大切にたくさんの笑いを振りまいて頂きたいと思います。
今 いくよさんのご冥福を心よりお祈りいたします。